当院で毎週回診に行っている特別養護老人ホーム神愛園で「聖書物語・版画展」が開かれていました。

作者は平岡ジョイフルチャペルの大久保法幸様です。

聖書の場面の素晴らしい版画と聖書の御言葉、作者のコメントが展示されていてとても心を打たれました。

 

一部の作品と作者の方のコメントを載せておきますね。

 

 

彼女は人に真実を求め、裏切られ、傷つき、おまけにあまりにいちずな

振る舞いはイジメの対象になっていた。彼女の求める心の渇きを満たし

てくれるのもをイエスだけが与えてくれた。

 

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く、

しかし、わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に

至る水がわき出る。」新約聖書 ヨハネによる福音書4章14節

 

 

 

人の足を洗うこと、それを人から言われてやること、さりげなくやることは、

ことさら難しい。あの人の足を洗うなんて、もっと至難の業。イエスは

最期に及んでなお、その大切さを身をもって示します。

 

さて、イエスは弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた。

「わたしがあなたたがにしたことが分かるか。あなたがたはわたしを「先生」とか「主」

とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで主であり、師である

わたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗わなければならない。

 

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章12〜14節

 

 

 

貧しい者への慰めは決して自己欺瞞となるものではない。

まして「宗教は麻薬」でもない。この山の上の空は

今のこの空と続いていて、貧しい者、悲しむ者の傍で

イエスが今も語りかけている。

 

 

この絵の中心は、曳かれて行くイエスの姿です。後ろを振り返り、

ペテロに万感の思いの眼差しを向けます。ひとりひとりをこんな

目で見られている。怖くて、嬉しくて胸がいっぱいになる。

 

 

 

人が負う十字架は、その歩むベクトルの逆向きに課せられるのではなく

むしろ十字架の重みを弾みとして歩む。負いきれない十字架は与えられ

ず、十字架に相応しい人が選ばれて課せられる。私に世に言う「障がい」

の子が与えられた。


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